17 December 2025
石内都 インタビュー|私は時間の塊を撮っている
大和日英基金では、多様な分野の専門家をお招きし、最先端のトピックに関する知見を共有しています。今回は、アーティストの石内都さんに、現在大和日英基金で展示中の作品「ひろしま/hiroshima」をはじめ、その制作の原動力やアートの力についてお話を伺いました。 ―「ひろしま」を撮られたきっかけについて教えていただけますか? 実は、私は一度も広島に行ったことがありませんでした。ちょうど2005年ベネチアビエンナーレで展示した「Mother’s」の作品が、2006年、東京都写真美術館で展示されていました。それを見たある編集者が、「広島を撮りませんか?」という話をしてくれました。広島を撮るとは驚きや戸惑いがあって、ちょっと即答はできませんでした。1週間くらい考えて、一度も行ったことがなかったので、まぁ行ってみようかなという、割と軽い感じで始まりました。もう広島はいろんな方が撮っておられて、色々な表現がいっぱいされているし、私が行っても何も撮るものがないと思っていました。 ―実際に広島に行ってみての印象は? 広島平和資料館に行ってみると、今までモノクロでしか見たことがない遺品たちに色がありました。「ちゃんと色が残っている」とすごくびっくりしました。私は学生時代に織物を勉強していたので、その繊維や布に対する詳細が普通の人よりよく見えます。遺品や洋服のディテール、絹でも木綿でも、戦前のものは質が良いです。原爆を受けていますけど、その質の良い遺品たちが、ちゃんと残っているのがすごくびっくりして。そして、洋服たちはとてもカッコよかったの。私がもし1945年8月6日に広島にいたら、私が着ていたかもしれない遺品たちでした。そこから、「ひろしま/hiroshima」の作品は始まりました。 インスタレーション写真:「ひろしま/hiroshima」展(2025年)於 大和日英基金 © 2025 Lesley Lau ―過去のインタビューで「広島を解放したい」と話されていますが、その意味は? 広島に行った時、平和だらけという印象を受けました。資料館も「平和」、通りも「平和」、橋も「平和」で、なんでも「平和」がついていました。原爆が落ちたところなのに、なぜ「平和」ばかりなのだろうと思いました。本来なら、広島平和記念資料館も「原爆資料館」のはずですので、なんかおかしいと感じました。広島の人たちの考え方、タクシーのおじさんとの会話などを通して、広島ががんじがらめになっているように感じがしました。だから、もっと自由になった方がいいのではと思いました。 ―どのような思いで作品を撮り始めましたか? 私は他者、よそ者なので、本当の悲しみとか痛み苦しみとか、原爆した人の立場になれないし、わかりません。だからこそ、「私はわからない」というところから始まりました。私は被爆者の方とは一人しか話したことないですが、遺品と話しています。遺品は何も話しませんが、何も話さない遺品と私は対話しています。自然光を当ててちゃんと形を整えて、行方不明の女の子がもしかしたら帰ってくるかもしれない、ワンピースを着るかもしれない。その時のために、ちゃんとカッコよく美しく撮ってあげようという気持ちでやっています。でも、帰ってこないですけどね、それは一つのイメージとして撮っています。 ―印象的だった遺品はありますか? コムデギャルソンです。今日は持ってきていませんが、一番最初に撮ったボロボロのワンピースです。元々は紫だったですが、写真だと黒く見えて、小さな水玉模様が入っているものです。それを見た時、すごいかっこよかったのです。当時、誰が寄贈したかわかっていませんでしたので、「これは私のコムデギャルソン」だと勝手に思っていました。つまり、私物化です。(あとで調べて知ったのですが、ファッションデザイナーの川久保怜が初めてパリコレで、コムデギャルソンの黒を基調とした「ボロルック」を出した時に、欧米では原爆ルックと言われていたそうです。) ―私物化とは? 私が着ていてもおかしくないワンピースという意味です。だから記録ではありません。私は原爆資料を撮っているわけではなく、目の前にある80年経ったものを撮っているわけです。過去は撮れないし、原爆を受けた時のことはもう撮れません。今、私が生きている同じ空間と時間に出会ったもの、2025年の遺品を撮っています。そして、私の考えで撮ります。「私はこう見ましたよ」と。そういう意味での私物化です。 ―石内さんが考える美しさとは? 美しさとは、人によって違います。何を美しいと感じるのかは、人によって変わります。私は単なる美しさには興味がないけど、時間が溜まっているものはやっぱり美しいです。私は、時間の塊を美しいと思っています。 ―女性であることは意識しますか? 女であることは一つの要素でしかありません。私は自分自身が女性であることをそれほど意識したことはないですが、広島を撮ってから、女であることを言ってもいいかなと思いました。なぜなら、「このワンピースを自分が着ていたかもしれない」って思うのは、女じゃないと感じないと思うからです。今まで男たちが広島を撮っていますけど、ほとんどが記録、反戦平和でした。それはそれでいいのですが、でもそれだけではない、もっと色々な意味で広島を考えていいと、私は思っています。だから、私の写真にはキャプションがありません。自分の言葉で考えて、自分の価値観で広島を見てほしいと思っているからです。 ―撮影するとき、石内さんは何を考えていますか? 撮影するときは、何も考えていません。「こんにちは」と挨拶はしますが、さっさと撮ります。プリントが上がった時にどうするか、色々なこと選んだり、考えたりします。撮影が終わった後、広島平和記念資料館・学芸員の下村さんと「これはなんだろうね」とか、感想を話しますけど、基本的に私は撮影する時、すごく早いです。現場というものは、早くやるものだと思っています。モタモタできないです。考えている時間はないです(笑)。 ―ひろしまを撮り始めてから約20年。その原動力は? 外国で展示した際に、私は「原爆は日本と日本人に落とした」ということを、初めて気づきました。日本人は、原爆は広島と長崎に落ちたと思っている人がほとんどですが、日本に落としているという根本的なことを海外で気づきました。日本人は一番わかっていないです。日本に落ちたと思うと、そうすると自分の問題になり、広島・長崎の人たちだけでは済まない問題だと思いました。 2022年にエディンバラで展示をした時に、8月6日に婦人や子供たちが、No More Hiroshimaの集会をやっているのを見て驚きました。渋谷や新宿のどこでもやっていないですよね。原爆の問題はもっと大きな問題で、今核戦争の可能性があるから、2024年日本被団協がノーベル賞をもらったような気がします。自分の問題として考えることはとても難しいと思いますが、個人がどう向き合っていくか、イメージしていくか、が大事だと思います。 ―今後も撮影を続けていきますか? 私は撮りたいものがある限り撮り続けます。広島に行くというのは、ある意味ライフワークになりつつあり、出会いの場にもなっています。今年は3年ぶりに資料館行って写真を撮りました。80年経っても、いまだに遺品が資料館に入ってきますが、洋服たちは少なくなってきています。今年は、子供の洋服、下駄、水筒とか撮りました。自分の関わっているテーマの重大性や広島を自分の広島として発見できたことは、とても嬉しく思っています。 私の「ひろしま」は、よそ者が広島を撮っているようで、広島ではありません。私は時間の塊を撮っている。無名の人たちの遺品がこんなに大切に保存されているとは、どういうことなのか。原爆とはどういうことなのかということも含めて、若い人はもっと知るべきで、考えるべきだと思う。ロンドンの人、海外の人がどのように見てくれるか、とても楽しみです。 ―ロンドンでの展覧会に込めた想いは? 今回個展でなくグループ展とわかった時に、すごく考えました。テーマが、広島・戦後80年だったので、広島を撮っている女性がいいと思いました。藤岡さんと笹岡さんは広島のご出身で、私は関東地方でよそ者です。だから、広島に関する考え方、距離感、価値観などはやっぱり違うと思います。また、女性というある種の共通の意味を含めて、どんな展示になるのか、見てみたいという思いがすごくありました。女性作家による広島をテーマにした展覧会は、なかなかありません。藤岡さんと笹岡さんは広島出身の人だから、私が撮るものと全く違う意味があるのかもしれません。そういう話はあまりしていないけど、写真や作品を見るということは、一つの理解の紐解きになるかなと思います。 インスタレーション写真:「ひろしま/hiroshima」展(2025年)於 大和日英基金 © 2025 Lesley
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