26 March 2021
日本の桜を救ったイギリス人
英国人園芸家のコリングウッド・イングラム(1880-1981)は20世紀初めに日本の桜の虜になり、明治・大正・昭和期に3度訪日して桜の穂木を持ち帰り、ケント州の自庭に植えて素晴らしい「桜園」を創りました。最盛期には130種類近くが植樹され、イングラムはそれらを英国や欧米社会に紹介し、広めました。 イングラムにとって一番大切だったのは桜の「多様性」です。ところが日本では当時、伝統の桜が忘れられて多数の品種が絶滅の危機に瀕していました。明治以来の近代化政策によって、人々は多品種を生んだ桜文化を忘れてしまったのです。日本で絶滅した「太白」桜は、イングラムが1932年、日本に里帰りさせ、イングラムは多様な桜を大事にするよう、日本人に警告を発します。しかし、その後日本はクローンの「染井吉野」に席巻され、まっしぐらに軍国主義の道を歩みます。









